
さらにその後、歌手、女優の斎藤由貴さんの横浜の家に下宿し、帯をお祖父さんよりご指導を頂き山形に帰りました。間もなく、青森出身で好きな男性がいるからと紹介され会うことにしました。会ってみたらとても誠実そうなよい青年だったので、「本人がよければ」ということで、結婚式を青森にて挙げました。身につけた和裁の技術を活かして茨城県内で一戸を構え、幸せな生活を送っていました。
昭和五十六年八月、茨城県身体障害者技術大会「和裁の部」で優勝し、また新聞にも仕事をしている姿が掲載されました。やがて男の子を出産、楽しく暮らしていましたが、子供が小学三年の夏休み、父親と子供で楽しい一日を過ごそうと海へ電車で出掛けました。ところが岩場で夫が誤って転落し、帰らぬ人となってしまい母子二人だけが残されてしまったのです。
その約一ヵ月前に可愛がってめんどう見てくれた、お祖父さんが亡くなったばかりでした。
突然の不幸の知らせに、家族一同ただ呆然とし、自分の耳を疑い「間違いであって欲しい」と思いました。本当に悔やまれてなりません。
走馬灯のように数々のことが思い出されます。時は流れ、息子も素直に成長し母を助けつつ高校一年生となりました。娘も母として子供を生き甲斐に、取得した免許で愛用の車を走らせ、毎日勤めに頑張っています。この厳しい社会をたくましく生き抜く勇気と力、そして教養を育んでくれた先生方の賜物とあらためて感謝申し上げます。
最後になりましたが今回、「母をたたえる会」の表彰を受けられたのも、ご指導頂いた先生方はじめ、福祉関係の皆さんのお陰と心より感謝申し上げます。
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